意中の男性を虜にする心と身体をつくるサロン【Psyche】神楽坂から徒歩7分
はじめまして。
西村しのぶ です。
長くなりますが、自己紹介をさせていただきます。
【子供時代】
 
1978年 東京 西東京市生まれ。
血液型A型。
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私が幼稚園の頃は、父方の祖母が同居していたり、フィリピンパブを経営していた時は、パブで働くフィリピン人のお姉さん達が、一緒に住んでいた時期もありました。
母は、文句を言わず いつも笑い、父を常に立てて、父には敬語で話していました。
暴力を振るう父から 守ってくれていたので 母の身体は いつも痣だらけでした。
父は、DV,愛人多数,金遣い荒い,ギャンブラー。
ひと懐っこく、甘え上手で、口が上手い人でした。
私が幼稚園位の事から、不動産会社をを経営していました。
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愛人もたくさんいたし、暴力的な父でしたが、それでも母は、絶対に父のことを悪く言いませんでした。
なんで、離婚しないの?と母に聞いた時も
「お父さんは、悪いところが目立ってしまっているだけで、良いところが沢山あるのよ。」
と言っていました。
そういった家庭環境だったので、色々ありましたが、父のことを嫌いだと思ったことは一度も ありませんでした。
そんな父に、私はよく夜中に起され、レモンを丸ごと食べさせられていました。
理由は、綺麗になるために
「しのぶは、美人に生まれたわけではないから、いつも笑っていなさい。
可愛く見えるから。
男に逆らうな。
去った男は追うな。」
などなど・・
父には、勉強よりも、男と女について教えてもらうことが多かったです。
※小学生高学年の頃には、父の暴力もおさまりました。
母が、魔法をかけたみたいでした。
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こういった生活をしている中で、ある時、父に隠し子がいる事が判明します。

父の学生時代の友人という おじさんに聞かされました。
当時、私は小学校6年生。
ショックでしたが、子供ながらに、言ってきたおじさんが、なんて頭の悪い人なんだろうと思いました。
部外者が子供に話すことではないよな・・
そして、中学生になりバブル崩壊。
会社が倒産し、借金の関係で両親離婚。
両親が離婚して寂しい気持ちと、母に対して 良かったね。
という気持ちと、色々な感情が入り乱れました。
それから父は借金取りに見つからないように逃亡。
やくざの人が、父が戻ってこないか見張りで家の前に住んでいました。
こう書くと、怖い!と言ったイメージを受けるかと思いますが、口数の少ない一切
害のないおじさんだったので、怖いという感情は、おきませんでした。
【高校生〜  初めての彼氏】
初めて付き合った人は6歳上の刑務官。
とても優しい 女好きな人でした。
家が好きではなかったので、彼が一人暮らしを始めてからは、彼の家から学校に通っていました。
彼が夜勤以外は、ほぼ一緒にいましたが、付き合って 1年。
身体の関係を持つ事が嫌で、待ってもらっていました。
こう考えると、いい彼だったなぁ
でも、基本 女好きだから、高校の友達と彼ができてるんじゃないか?って思った時期もあったし。
女を連れ込んでいるのに鉢合わせた時もありました。
その後も 女癖の悪さは、エスカレートしていき破局。
その後、1ヶ月以上 彼氏がいなかったことがないのですが
若かりし頃付き合った方々は 女癖の悪い人が多かったですね。
【父 死去】
22歳の頃、父が胃癌と判明。
当時 下北で一人暮らしをしていましたが、「病院代がかかる」と、お金の催促
父は、韓国人の方と再婚していましたが
彼女は彼女で 貢がれものを 売ってお金に変えて生活していたみたいで大変そうでした。
私は、当時 試食販売、事務仕事、宛名書き、チラシ配りなどなど。
派遣で色々な仕事をしていました。
病院代とは言え、一人暮らしして、お金を渡すのも限界がありましたが、ただただ、父から連絡が来るたびにお金を振り込んでいました。
病院代も 結構かかったので、夜スーパーのレジのバイトを増やしました。
働いても働いても 渡さなければいけない。
病院代が足りない。
そう言った中で、何度か倒れます。
ドクターストップ。
身体がついていかずに見兼ねた友人に
「わたしが働いているお店にきたら?」
夜のお仕事に誘われます。
最初は、断りましたがバイトの掛け持ちは
体力が持たず、夜のお仕事デビュー。
そのときは、他の派遣会社を紹介していただき、よりお給料の高い百貨店での販売の仕事にうつりました。
百貨店の仕事と並行して、夜のお仕事。
夜のお仕事は、指名があるほうがお給料が上がったので 指名を取るためにどうしたらよいのか。
本を読んだり、人気の方のお話を聞いたり、暇なときは店長に聞いて とにかく
頑張って、人気ナンバー1になりました。
この時、父の病状は悪化。
これから先、父の病院代に、あといくらかかり、いつまで続くのか?
 
長生きして欲しいけど、先の見えない不安。
 
人気ナンバー1になったものの、ただ ただ、必死に頑張りました。
そんな生活が、何年か続いた秋。
父は、病室で亡くなりました。
【1回目 結婚】
その頃、色んな方と付き合っては別れを繰り返していました。
そんな中で、元派遣会社の社員だった男性と再会し、お付き合いすることに。
付き合って、3ヶ月後には結婚が決まり、その半年後に入籍しました。
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私の喜怒哀楽の感情すべてを受け止めてくれて、かっこいい。

こんな人いない!と思って結婚しましたが、夫の借金がどんどん出てきました。
父が亡くなり、病院代を払うことはなくなったら、今度は夫の借金。
お金がなくて、食費を浮かしていたら、1ヶ月で自然に5キロ減っていたりして。
父の時以上に、こんなに働くことない!っていうくらい更に働きました。
借金も、返しても返しても出てくるし、心身共に崩壊。
私がやってしまう性格だったこともあり、夫も甘えるようになり、だんだん男性として見られなくもなり。
愛情が憎しみに変わっていきました。
些細なことでも夫に怒りを感じ、私自身
暴れることもありました。
(元はといえば、夫の借金が原因でしたが)毎日怒っている私に対して、夫はそれでも寄り添ってくれようとしてくれていましたが、私には無理で。
精神的に追い詰められて、追い詰められて、このままいったら、本当にまずいと思い、夫に離婚を切り出しました。
そこから、色々ありましたが どうにか離婚成立しました。
【人生の転機】
離婚してからは、整骨院の先生と付き合いました。
付き合って半年くらい経ってから彼の家に居候するようになりました。
仕事は、百貨店の洋菓子店で店長・店舗管理をやっていました。
いい加減なメーカーで、発注しても納品されなかったり。
いきなり大量のケーキが納品されたりして、百貨店の方には怒られるわ。
それでも売り上げを上げなければいけないしでストレスは募る一方。
ストレスと疲れで、胃が痛くなったり、手の感覚がなくなり。
しまいには、おねしょしていた時期もありました。
それでも仕事は楽しかったのですが、身体がついていかず、退職。
外に出るのも億劫になり、引きこもっていたところ、彼に
「俺に何かあって、1人でも生きていけるように手に職つけたら?」
と言われました。
鍼灸師を勧められましたが、お金もないし、そこまで通う気力もないし。
色々調べて、アロマセラピーとリフレの学校に通うことにしました。
そういった中で、ネットで調べまくって口コミの高いお店に行ったら、想像以上に上手な先生で何度か通いました。
通っている中で、先生に直談判して、直接 施術を教えていただけることになりました。
リフレの学校が終わり、アロマの学校は前期で辞めることに決め。
さぁ ボディワークの仕事を始めようかなと思っていた矢先、彼と破局してしまいました。
直接、指導してくださっていた先生に話したところ、先生のお客様で、マンション経営している方がいらっしゃり。
サロン可の部屋を貸していただけることになりました。
この時、わたしはすぐに、サロンをやりたい訳ではありませんでしたが、せっかくのご縁だから。
という理由で、サロンを始めることに決めたのでした。
サロンを始めるまでの30年間。
こちらには書けないことも、まだまだありますが、いろいろな経験ができて良かったなって思います。
そして、ここからセラピストとしての人生が始まったのでした。
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